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地域のイマ、とコレカラ…『第十回 宝製菓株式会社 井上 清さん』

新型コロナウイルスによって戸塚の人々のイマがどのように変わったか、コレカラどうなっていくかインタビューを通じて見つめます。第10回目は宝製菓株式会社 総務人事部 課長の井上 清さんにインタビューを行いました。「さくらプラザオープンデー2019」では子どもたちのために、毎年大人気の「宝さがし」コーナーにご協力いただいた、地域に根差した老舗菓子メーカーである宝製菓。今回はコロナによって起きた変化や、人と人との繋がりの大切さ等をお話しいただきました。

井上 清 課長 

宝製菓株式会社の歴史を教えてください。

井上 清 課長(以下、略):

1946年2月、藤沢の地で初代社長が未利用資源を活用してパン作りを始めたのが宝製菓の始まりです。

戦後の食糧難を何とかしようとパン作りを始めたそうですが、当時の資料は失われており、現在ではどのように、どのようなパンを焼いていたかは定かではありません。

その後時代が変わり、1950年前後くらいには小麦粉や砂糖の統制が解かれ、流通し始めたことからビスケットの製造に着手しました。

1962年に藤沢から戸塚に工場を移転してからは、現在で60年弱になります。

今ではビスケット、クッキー、クラッカーと幅を広げつつお菓子作りに特化しています。

宝製菓株式会社の主な企業活動を教えてください。

現在、定番商品に加えて新製品を春夏、秋冬と年2回、自社製品で3品くらいを製造・販売しています。

当社では販売を開始してから市場の反響をみて、人気・不人気に応じて増産、休売を判断しています。

生産量を最初に決めて、営業で売り切る方法をとる大手メーカーとは違い、当社は売れ行きを見て増産をかけるので、比較的身軽に動けるのがメリットです。

 

自社製品と合わせて、他社のプライベートブランドに製品を提供するOEM(Original Equipment Manufacturerの略 他社ブランドの製品を製造すること。)にも力を入れています。

OEM製品は基本的に全く違う名前で販売されるので、宝製菓の製造であることに気づかれないかも知れませんね。

OEM製品はヒットすれば安定供給できますが、そうでなければ急遽販売が終わってしまう場合もあります。

当社としては、OEM製品も同じく安定供給のために原料・資材を準備してから製造をスタートするので、休売となると、そのまま原料、資材が残ってしまいます。

OEM製品は販路拡大の面においては有効な手段ですし、売れれば利益も大きいですが、同時にリスクも高い一面があります。

今では、スーパーやコンビニも、お客様目線で良いものをより安く提供できるプライベートブランドに力を入れて商品開発する流れがありますが、利益面で見ると、製造メーカーとしては厳しい部分もあるのが事実です。

今ではプライベートブランドは食品から雑貨まで、非常に多様化していますので、こういった流れは今後も続くのでしょう。

新型コロナウイルスの影響でどのように日常が変化しましたか?

当社としては、全体で見た場合、コロナによる影響はあまり受けていないのが実情です。

むしろ、巣ごもり効果により需要が増し、売上数値は上がっています。

巣ごもり効果に加えて、2月、3月からコロナウイルスの感染が始まった頃、農林水産省から「安定供給を目指すように」という通達が来たのと同時に、当社製品の「塩バタかまん」がSNSで評判になり、メディアでも取り上げられたことからヒット商品になったことも、製造量が上がった理由です。

コロナ禍当初は、営業活動が以前のようにできなくなりましたが、今はネット社会ですので、メールやZOOMなどの環境を使うことで、思いのほか苦労は無く営業活動が再開できました。

日常業務においても在宅ワークを取り入れましたが、経験がなかったため、どちらかというとそちらに社員は戸惑いがあったようです。

WEB会議などはマスクも含めてニュアンスが上手く伝わらない一面もあり、いまだに難しいと感じる面もあります。

除菌・消毒に関しましては、我々はもともと食品業界なので、手洗い消毒の徹底は既に実施していましたし、マスクについても以前から着用していましたので、そういった部分では特に抵抗を感じることもなく、すんなりと受け入れることができました。

 

製造面においては、農林水産省からの安定供給指示がありましたが、当然在宅でできるものではなく、現場での作業が必須となります。現場で働く人がコロナを外から持ち込まないようにするにはどうすれば良いか、例えば公共交通機関での出勤者に対してどういった対策をしたら良いか頭を悩ませた部分は多々ありました。当社の工場に勤務している従業員は若い女性が多く、当初は公共交通機関で通うことへの恐怖心もあり、精神的にピリピリするような感じがありました。万が一、自分がコロナを持ち込んだとなると会社に迷惑がかかる、製造も止まる可能性もあるので、そのプレッシャーも大きかったと思います。

取引先においても「陽性者が出た」といった情報が出ると、当社に濃厚接触者がいたか、同じフロアにいたのか等、大きな騒ぎになります。その人1人の問題だけでは済まず、場合によっては業務が止まってしまうこともあるので非常

に気を遣いました。気の緩み、慣れが起きると、緩んだ気を再度引き締めるのはとても大変なことです。そういったことのないよう、従業員にも言っていますが、自分でも十分注意しなければいけないと感じています。

 

物流においても若干の影響がありました。

これまでのように、商品を一つの拠点に沢山送ると、作業する人が密になるからなのか、商品を分散して納品してほしいとの要望があり調整に苦労しました。世の中ではコロナによる業績悪化による人員削減が多いせいか、派遣会社からの採用依頼の問い合わせがとても増えました。

お陰様で当社では売上が上向いたので、コロナ禍に求人をかけて増員を図ることができました。

 

これらのような色々な影響は見受けられますが、やはりコロナの終息時期が見えない点は精神的な不安は大きいです。

個人も企業も「この時期を乗り越えれば」という目処があれば頑張りようもあるのですが、それが見えないのはとても辛いものです。

今のように「できる限り外出を控えて」という状況になって、あらためて「人と会って話をする」といった普通なことが、いかに大事なことだったかと思います。

新型コロナウイルス終息後に始めたい活動はありますか?

新製品の開発・販売を再開したいです。

本来であれば、今年の秋、来年春に出すはずの新製品が延期となってしまっています。

延期の理由はコロナだけではなく、「塩バタかまん」のヒットで生産が間に合わず見送った一面もありますが、ストップしている新製品の開発を再開して、早くお客様にお届けしたいです。

 

また、忘年会・歓迎会等も今年はコロナの影響で一切出来ていないので、社内のイベントも再開したいです。

今年は新卒者も入ったのに、一切そういったイベントができないまま今に至っています。

イベントが何もないと仕事にもメリハリが付かず、今年も気が付いたらもう年末といった感覚があります。

年間のルーティンとしてイベントがあることで季節を感じたり、イベントによって1年が終わっていくという感覚を社内で共有することを、以前は当たり前のようにやっていましたが、今年は何も出来ていません。

 

今年は「戸塚ものづくり自慢展※」への出展もできなくなりました。人が集まるイベントが出来なくなる一方で、色々なイベントが配信などにシフトしていますが、やはり人と人とのふれあいが大事だと感じます。

直接会って、たわいもない会話から生まれる繋がり、やさしさ、思いやりが伝わることがどれだけ素晴らしいことか私もコロナ禍であらためて感じました。文化芸術に関しても、生で感じる熱気や空気感がとても大事なように、いくら良いスピーカーを使っても生の素晴らしさにはかなわないですよね。

今は生きるためにやむを得ないですが、五感で感じることの素晴らしさをあらためて感じます。

※戸塚ものづくり自慢展:戸塚区役所主催で、戸塚においてものづくりに携わる企業が集まり、さくらプラザ・ギャラリーでも展示を行うイベント。

「さくらプラザオープンデー2019」にもご協力いただきました。

さくらプラザに求めるものは何でしょうか?

当社としては、「戸塚ものづくり自慢展」のようなイベントや、HP、情報誌を使ったさくらプラザの発信力を生かして、地域の中で当社を知らない方にもっと存在を知っていただきたいですし、会社としても地域に積極的に貢献したいと思っています。

戸塚は宿場であることから歴史も深く、とても魅力ある町ですので、こういった点もからめて地域の人にアピールできればよいですね。

 

今は人を集めるイベントの積極的な開催は出来ない厳しい時期だと思います。しかし、逆に今だからこそできることもあると思います。それを模索し、実践する中で、地域の絆を深め、人間力、文化力を高めていただければと思います。こういう時代だからこそ、文化芸術に触れることで、心のゆとり、ほっとする瞬間、気分転換になる時間を地域の方々に提供していただきたいと思います。

 

イベントが再開できるようになったら是非お声がけください。できることは積極的に協力させていただきます。

 

 

(取材・文・写真勝間田 努

取材日:2021年1月

戸塚区民文化センター さくらプラザ