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地域のイマ、とコレカラ…『第三十五回  パッチワーク教室 手★創りの部屋 まいキルト 講師 飯高 昌子さん』

新型コロナウイルスによって戸塚の人々のイマがどのように変わったか、コレカラどうなっていくかインタビューを通じて見つめます。第35回目は戸塚区在住パッチワーク講師 飯高 昌子(いいたか まさこ)さんです。

2023年3月1日から3月5日まで区民企画事業としてさくらプラザ・ギャラリーにて「サンクスフェスティバル」パッチワークキルト展を開催しました。パッチワーク教室を40年以上続けている飯高さんの様々な活動や、子育てを通じて考えたことなども交えてお話を伺いました。      

 

※飯高様のお名前の漢字につきまして、【高】の文字は本来は【はしごたか】ですが、システムの都合上、【高】を使用しております。ご理解いただきますようお願いいたします。

『手★創りの部屋 まいキルト』 パッチワーク講師 飯高 昌子さん
『手★創りの部屋 まいキルト』 パッチワーク講師 飯高 昌子さん

―パッチワーク教室を40年続けていらっしゃると伺いましたが、パッチワーク、また教室を始めたきっかけを教えてください

 

飯高 昌子(以下、略):もう50年も前になりますが、映画や雑誌でパッチワークの世界を知り「パッチワークを学びたい」という気持ちが湧きました。

最初は通信講座でパッチワークを学んでいたのですが、やはり実際に教室の現場を見たいと思い、途中からは東京で都会の感覚を学びました。

 

当時は夫の両親とそのお母さんと同居していたため、みんなで毎日大騒ぎして3人の娘を育てていました。子育てをしながらだと東京までパッチワーク教室に通うのは難しいかなと思ったのですが、家族の協力のおかげで実現することができ、パッチワーク講師の資格を取得し、戸塚の皆さんに伝えていくことができています。

 

子ども達が少し大きくなって中学に入ったころに、再開発前の旭町通商店街で教室を5〜6年開いていたこともあります。今でも東京でパッチワークや手芸に関わる様々な資格を取ったり、研修を受けたりして学び続けています。

パッチワーク作品

 

 パッチワーク作品

 

 

―飯高さんの現在の主な活動について教えてください。

ほぼ毎日自宅やコミュニティハウス、ふらっとステーション等で教室を開いています。今回のさくらプラザ・ギャラリーでの展覧会は、皆様のおかげでパッチワークを長く続けることができた感謝の気持ちを込めて『サンクスフェスティバル』というタイトルをつけました。夫や家族には「これが最後だと思うから」と言って開催しましたが、生徒さんからは「次もやりたいね」と言われ、「逆に出発みたいになっちゃったね」と家族と話しています(笑)。生徒さんがイキイキとして「次はこれを作りたい、もっと大きいものを作りたい」と話しているので、展覧会を開催したことで、皆にも私にも、とても活力になりました。

『手★創りの部屋 まいキルト』教室エントランス

   『手★創りの部屋 まいキルト』教室エントランス

 

パッチワーク教室のほかに地域のボランティア活動も行っています。地域の「ふれあいカフェ」の代表と、「NPO法人 音楽の力」の理事、それから地域の高齢者の方への配食活動の一員として活動しているのと、戦没者の遺族会神奈川県女性部長として働かせていただいています。ほぼ毎日活動していて、お休みは月に2、3日くらいです。ここ戸塚を子ども達の『ふるさと』にしたいと思ったら、やっぱり安心して暮らせる地域が大切だと思いました。それにはまず自分の町内会がうまく機能していないといけないので、町内会や老人会に積極的に関わっています。その成果か、町を出た近所の娘さんがお祭りの際に家族連れで帰ってくるといったことが多いように感じます。こういったことが安心して暮らせる『ふるさと』作りには大切なことではないかなと思います。

パッチワーク制作のためのたくさんの材料

   パッチワーク制作のためのたくさんの材料

―飯高さんから見た戸塚区はどのような街でしょうか?

私は戸塚で育ち、同じ区内で結婚をして家庭を持ちました。戸塚はとても住みやすいし大好きな街ですね。開発される前の話ですが、旭町通商店街のお店の人たちが「こんにちは!」と声を掛けてくれて、一言二言会話を交わしながら歩いていくことが好きでしたね。講師の資格を取ってから、旭町通商店街の一角に部屋を借りてパッチワーク教室を開催していたことがあったのですが、顔見知りの方がたくさんいて声を掛け合えて、「地元」って素敵だなと思いましたね。

―新型コロナウイルスの影響で、どのように日常、活動が変化しましたか?

パッチワーク教室は緊急事態宣言が出されてから3か月間はお休みしました。あの時はコロナが何なのかまだ分からない状態でしたので、その間に家で作品作りをしていました。生徒さん達もその期間に作品作りが進んだと話していましたね。それまでの忙しさから離れ、少しほっとした時間だったと前向きに捉えています。

ボランティアで行っている配食活動やふれあいカフェは、いまだに前のようには稼働できずにいます。ただ、少しずつでも動き出さないと始まらないので、去年(2022年)くらいから飲食はせずに集まりましょうと言って換気と消毒等、コロナ対策をきちんとして集まり始めました。何もせずにいると時間だけが経ってしまうのでね。コロナが早く収束することを願っています。

−コロナ禍を踏まえて、新しく始めた活動、今後始めたい活動はありますか?

配食活動やふれあいカフェをコロナ禍以前のように活動再開したいですね。現在、ふれあいカフェは汲沢団地の中の会館を借りて月に1回やっています。以前はどなたでも入れ、多い時には1日に30人くらい来ていました。今は予約制で20名定員にしています。コロナが収束したら、また以前のようにどなたでも利用できるように再開したいです。

私はボランティアの仲間と美味しいコーヒーを淹れるためにマスターから直接教わって「コーヒー名人」という名札をつけて、サイフォンでコーヒーを淹れています。手作りのシフォンケーキも用意して低価格で提供しています。ふれあいカフェに来てみんなで顔を合わせておしゃべりするのは大切なことで、みんなもそういう場を求めているんだろうなと思います。

―今後の人と地域との交わりのために、さくらプラザに期待することをお聞かせください。

みんながより使いやすく借りやすい文化施設にして欲しいですね。今回のように私達のグループだけで頑張るということも良いのですが、別のサークル同士で展覧会を行うのも良いのではないかなと思いました。メンバー同士の交流が生まれますし、新しい関りを生み出すということも地域活性の一つだと思います。さくらプラザでそういったイベントを企画したり、希望する人には別の団体を紹介したりして欲しいと思います。また、地元の人だけではなく戸塚に越してきた人達や子ども達にもここを『ふるさと』と思ってもらえるような、見守り、人と人が関わることを大切にしてもらえる文化施設であって欲しいですね。

 

作品展示の様子 

弦楽四重奏ミニコンサート時の賑わっている様子

「サンクスフェスティバル」展覧会の様子(2023年3月1日から3月5日までさくらプラザ・ギャラリーにて開催)

上:作品展示の様子  

下:弦楽四重奏ミニコンサート時の賑わっている様子

 

 

 

左側「モザイク」 飯高先生作  右側「サンプラーキルト」 清水 江美作

 「サンクスフェスティバル」出品作品 

左側:「モザイク」 飯高先生作  右側:「サンプラーキルト」 清水 江美作

 

左側:「モザイク」 制作期間約7か月間

飯高:ジーっと考えてデザインを起こして・・・・・・。私自身、身に着けるものはシックなものが好きです。スクールでパッチワークを学んでいたのですが、「『シック』なのと『地味』なのとは違うのよ」と、先生に言われたことが忘れられなくてその部分を気にかけて制作しています。

右側:「サンプラーキルト」

パッチワークの基本となる様々なパターンを縫い合わせて、一枚に仕上げた見本のようなキルトのこと。

作品「モザイク」拡大

作品「モザイク」拡大  

 

一枚一枚色合いやデザインを考えながらの大作

 

 

 

※掲載内容は2023年3月のインタビュー時のものです。

(取材・文・写真:石井 由里子)

 
 
 

戸塚区民文化センター さくらプラザ