地域のイマ、とコレカラ…『第十四回 タップダンサー・振付師 Battさん』
新型コロナウィルスによって戸塚の人々のイマがどのように変わったか、コレカラどうなっていくかインタビューを通じて見つめます。
第14回目はタップダンサー・振付師として活躍され、YouTube用の動画撮影のためにさくらプラザ練習室をご利用いただいているBatt(バット)さんです。コロナ禍に地元横浜へ戻られた現在の活動スタイルや未来への想いを伺いました。
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―Battさんは横浜ご出身と伺いました。
Batt(バット) (以下、略):
はい。一時は都内に住んでいましたが、今は戻ってきています。中学から地元とは少し離れた私立校に進みましたが、今でも横浜に友だちは多いんですよ。
都内在住の頃は活動拠点であるダンススタジオが世田谷区にあったので、その近隣の区民施設をよく利用していました。世田谷区民向けにワークショップをやったこともありますし、学校の観劇会でホールをまわったこともあります。ただ、横浜で活動する機会はあまりなく、コロナ禍になるまでは横浜市の施設は利用したことがなかったですね。
―最初にお会いした際に「区民文化センターをまわって撮影している」とおっしゃっていましたね。こういった横浜市の文化施設はご存知でしたか?
はい。実家の近くにもこのような施設がありますので。知ってはいましたが、タップダンスは専用の板を設置しないといけないため労力も結構かかりますし、音も出るため快く貸していただけるところが実はそれほど見つからなくて。だから撮影を始めた頃は足取りが重かったんです。それでも、いろいろな施設を使ってみて定期的にちゃんと使えるところがあればいいなと思っていました。その結果、さくらプラザに来ているんですよ(笑)。
もともとはこういった施設の情報には疎かったのですが、地元で活動している感じがしますね。地元で活動する機会があまりなかったので今回のような取材の機会は嬉しいです。
―どのような経緯で現在のお仕事に就かれたのですか?
中学生の頃から俳優・タレントの養成所に通って芝居の勉強をしていました。最初はタップダンスはおまけのような感覚でしたね。その養成所で定期的にミュージカルに出ていたのですが、その振付担当がHideboH(ヒデボー)さんで(*)。タップダンスってあまりやっている人もいないし、ダンスの技術的にもすごいじゃないですか。自分の武器として上手くなりたいと思いずっと続けてきました。高校を卒業する際にタップダンスのインストラクターにならないかとHideboHさんに誘われてやってみることになり、20歳くらいからはダンスグループを組んだり、振付をさせてもらったりしています。
* HideboH (ヒデボー)さん…映画『座頭市』のタップシーンの振付師。
日本のタップダンス界の第一人者として国内はもとより、 海外でも数々の実績を持つ。
―コロナ以前の活動としては、どのようなことをされていましたか?
定期的にダンススタジオで教え、年間を通して舞台の振付や自分のライブを行っていました。それらが、コロナのためにまったくできなくなってしまい、公演を延期するにも再開するめどは立たないですし……。今まで踊らない時間なんてなかったのに、昨年の3月頃から2か月近くも身体を動かさなかったですね。そのあと、自分の練習を始めたのですが、練習しているだけというのもどうだろうと。そこで、ほったらかしにしていたYouTubeを活用して動画を公開してみようと思い、試しに撮影を始めました。自分の活動の一環としてでもあり運動不足解消でもありましたね(笑)。
―もともとYouTubeのアカウントは持っていたのでしょうか?
持ってはいたのですが以前はオフラインの仕事がたくさんありましたし、公開する機会があまりなかったのですが、コロナのおかげでそちらに集中する機会ができましたね。きっと他のアーティストもそうだと思うのですが、“何に繋がるかはわからないけど何かやらなきゃ”という想いがあって始めた感じです。きっと今までやっていたことは当面できないだろうから、制限がある中でも自分ができることを見つけたいなと思ったんです。自分の生徒さんや、ライブを観にきてくれていた人に忘れられないためにも(笑)。ふだんレッスンやライブを観られない人たちも動画を観て楽しんでくれています。動画を撮る仕組みや準備の方法を改めて知ることができて、僕にとってもよい機会でしたね。
―今後、ご自身の動画以外にやってみたいことはありますか?
発表会が中止になっているので、自分の生徒さんも撮影してあげたいですね。北海道などでも教えているのですが、長いこと行けていないので……。以前は3か月に1度教えに行っていたのにもう1年以上会えていません。会えないままみんな高校を卒業してしまいました。そういった遠方に住んでいる方向けに振付動画を配信したり、オンラインレッスンもやってみたいです。
―コロナの影響で一番悔しかったことは何でしょうか?
根本的な話になりますが、芸術は生活から一番遠いところにあるんだと実感したことが悔しかったです。みんなが安心して生活できている上に成り立っているものなので、生活が担保されないと芸術関係の再開は一番最後になってしまいますよね。日常生活が戻り余裕が生まれてこそ、ダンスを習ったりライブを観たりできると思うんです。それは今に始まったことではないのですが、改めて実感しましたね。あとは、活動再開のめどが立たないことです。
―コロナ終息後、やりたいことはありますか?
まずはライブと生徒さんの発表会、このふたつをやりたいです。オフラインじゃないと絶対に実感できないような、生徒さんの友達が近くで発表を観てくれたり、みんなで過ごすことをできたらいいですね。今はできることをやって、そのための準備期間だと考えています。
―最後に、さくらプラザに求めるものを教えてください。
施設を利用している人同士や施設スタッフの人たちなど、ジャンルが異なってもコミュニケーションをとれる機会があったらすごく楽しいと思います。僕自身も都内から横浜に戻ってきて、地元で活動場所を探すのも大変でしたし、地元の人とどうしたら知り合えるのかと考えています。時間帯も部屋も別なので他の利用者さんの様子もあまりわからないし、施設を利用しているだけではなかなか機会がないですよね。なので、交流を趣旨としたイベントがあると一番参加しやすいかなと思います。お互いの発表を観たりしてもいいし、さくらプラザを利用している人どうしがジョイントするきっかけみたいなことがあればとても嬉しいです。
※掲載内容は2021年4月のインタビュー時のものです。
(取材・文:桑田 春花/写真:小野 良)