地域のイマ、とコレカラ…『第三十四回 とつかリビングラボ 代表 川口 大治さん』
新型コロナウイルスによって戸塚の人々のイマがどのように変わったか、コレカラどうなっていくかインタビューを通じて見つめます。第34回目は、とつかリビングラボ(https://totsukalivinglab.com/)代表の川口 大治さんにお話を伺いました。戸塚区の医療・子育て・介護・障がいの地域課題を、地域の力で解決する仕組みを作る とつかリビングラボさん。今回は、その活動と、川口さんご自身についてもお聞きしました。
とつかリビングラボ 代表 川口 大治さん
―まずは、川口さんご自身の経歴について教えてください!
川口 大治(以下、略):普段は、汲沢町にあります、株式会社横浜セイビの代表取締役社長を務めています。とつかリビングラボ以外にも、戸塚倫理法人会の会長や、戸塚てらこやなどにも関わっています。もともと、戸塚区の深谷町で生まれ育ち、10歳の時に隣の泉区に引っ越したのですが、基本的には旧戸塚に属する場所にずっといますね。
大学を卒業して7年間は都内で中古車の輸出を行うベンチャー企業に勤めており、7年間がむしゃらに海外に出ていました。マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、アフリカ、カリブ海、カザフスタンなど、本当に色々なところに行かせてもらいましたね。大学では国際経済学科に入っていたこともあり、海外志向は強くて、留学の経験で培った語学を使いながら、海外の人たちと仕事することを楽しんでいました。今の会社で取り扱うのは清掃管理業務、設備管理業務、家事代行業務などですので、全然違うことをしていました(笑)。
戸塚に戻ってきたのは2010年のことでした。30歳を迎えるタイミングだったこともあり、今後、地元に戻るか、そのままベンチャーを続けるかどうかを考えたのですが、弊社は父が創業した会社ということもあり、それを継ぐという形で舵をきりました。これまでの仕事と業種は違いますが、自分の中に将来的に家業を継ぐとか、家業をやっていきたいというマインドがあったんだろうなと思います。だから、業種は違えど、自分が自己成長できる場所がたまたま車の輸出をしていた会社であったのだと結果的には思っています。
―その中で、とつかリビングラボの活動に関わることになったきっかけは何でしたか?リビングラボという考え方も併せて聞かせてください。
もともとのきっかけは、2010年代の中ごろに、こまちぷらすの森さんがやってらっしゃった「3枚の葉っぱ」というワークショップが始まりでした。そこでは、横浜市に挙げられた意見を机に並べて、「自分はこの意見に興味がある」、「これは課題だと思う」と考える意見を拾い、それについて「自分がどう思うか」を参加者で話し合うという内容でした。とつかリビングラボは、その参加者の集まりが母体になっています。
私も、戸塚は自分が育ってきた地域ですし、自分の住んでいる街、育った街がそのまま衰退していくのは嫌ですし、ちょうど子どもが生まれたタイミングでもありましたので、子どもたちが育っていく環境作りに自分が関わることによって良くなるのであれば、遠慮することなく関わった方が良いと思い、それからは地域という部分を意識して動くようになりました。
リビングラボ(※1)は北欧を中心に広まった考え方で、地域の課題に対して住民や企業が協力して、解決にあたっていく……簡単に言うとそのような考え方です。ちょうど横浜市としても、リビングラボを推進していきたいという意向がありましたので、戸塚でも地域で起きている課題を解決する土台にしていこうと、横浜市の人たちと共に2018年にスタートしました。
現在の戸塚区は、駅前には流入人口があるけれども、駅周辺から離れた東俣野町や、ドリームハイツの辺りは高齢化率が60%を超えるなど、言ってしまえば日本の縮図のようになっていると思います。駅前は高低差があるためベビーカーだと動き辛いなど子どもに関する課題があり、郊外では流出人口が多いためコミュニティが維持できない、高齢の方はデジタルデバイスを使いこなせないなど、それぞれの課題があります。その課題は、これまでは行政に任せれば良かったものが、行政も全てに対応できるわけでもありませんので、私たちのような株式会社であったり、NPO、大学だったりと多様な人たちが集まって課題解決に知恵を絞れば解決できるんじゃないか……、というような出発点から、とつかリビングラボが作られていきました。
●最初に「3枚の葉っぱ」のワークショップを行った際の記録写真
リビングラボ(※1)「Living(生活空間)」と「Lab(実験場所)」を組み合わせた言葉。研究開発の場を人々の生活空間の近くに置き、生活者視点に立った新しいサービスや商品を生み出す場所を指す。横浜市には15団体が組織されており、各区、地域の特性を活かしながら課題解決にあたっている。
―とつかリビングラボではどのような活動をされていますか?
とつかリビングラボは「ヘルスケア型」と言われるような団体です。医療、介護、子育て、障がい、この4つを基軸のテーマとし、実行会議と全体会議の2つのミーティングを毎月開催しています。医療福祉の分野では、ツクイさん(株式会社ツクイ)であったり、横浜薬科大学であったり、あとは、和みの園さん(※2)、あい薬局さんなど、多くの方々に関わっていただいています。その時々で色々な話をしながら課題解決に向けて前進しています。
先ほどお話ししましたデジタルデバイスに関しては、高齢の方はスマートフォンを持っていても、使いこなせないという課題がありました。相談をしたくてもお店では営業をされるかもしれない、でも家族に聞くのは恥ずかしい……と、安心して学べる第三者的な場所って実はないんですよね。ですので、我々がサードプレイス的な場所になり、地域の中で受けられるスマートフォン講座を行うようになりました。そうすることで、自分で医療機関を調べることができたり、バスの時刻表を調べたり、YouTubeで動画を観られるようになったりと、それだけで笑顔になって健康が取り戻せたりするんです。
大きなイベントですと、1年の総まとめとして「とつか未来会議」を開催しており、2018年からこれまで5回開催しました。コロナ禍の中で実施した2020年は、フランス大使館の皆さんに会場に足を運んでもらい、また、現地とオンラインでもつなぎ、感染状況に関するフランスの最新情報を共有いたしました。戸塚でも国際会議ができるんだと実感しましたね。
●第3期スマートフォン講座の1コマより
とつか未来会議より第1回ワークショップ時の様子(左)と2022年にフランス大使館の皆さんがお越しになられた時の写真(右)
和みの園(※2)東俣野町にある特別養護老人ホーム。
―コロナ禍での活動はいかがでしたか?
関わってくれている方々は皆さんそれぞれ大変でしたが、とつかリビングラボとしては参加を強制するものでもないので、変わらず活動を続けていました。もともと地域の課題を解決するための場所なので、コロナ禍もその課題の一つと捉えられていたかと思います。リビングラボは課題解決の手法の1つなんですよね。コロナだからネガティブになるというよりも、その中で自分たちがより豊かな生活を送るためには、どうしていこうかということを考えられる場所です。僕は“当事者意識”という言葉が好きなんですが、当事者であるとものの見え方が変わってきます。他人事にしてしまうと心が離れて、考えようともしなくなりますよね。でも、当事者になると、目の前に課題があるとどうすれば解決できるかなと考えるようになります。それは結構大きな違いなので、「圧倒的な当事者意識を持っていこう」とは、とつかリビングラボの中でも話しています。今後も関わる人たちと前に向かって歩いていきたいですね。
―最後に戸塚区の文化やさくらプラザに期待されていることをお聞かせください。
文化を語れるほどではないかもしれないですが(笑)、戸塚区は色々なものに関わっていきたい、良い方向にしていきたいという人たちが多いです。近隣の鎌倉や横浜の港湾部に比べて、食べ物や名所があるわけではないですが、人の魅力があるのは確かです。良い意味で“なにもない”からこそ人の輝きがあるのかなという気はします。さくらプラザも駅から直結で、これだけ素晴らしい施設なので、何か行動をしたり、集まったりするには最適な場所です。横浜の中心でない場所にもこんな素晴らしい人がいるよ、場所があるよと、発信ができるハブになりうる場所なのかなと思います。先ほどは「名所はない」と言ってしまいましたが、名所になりうるもの、それは戸塚においては“人”であり、その“人”が集まる場所としての機能がさくらプラザにはあるのかなと思います。
※掲載内容は2023年2月のインタビュー時のものです。
(取材・文:小野 良)